2013年4月14日日曜日

暗闇

昨日、とある映画を観に行ったのです。
映像はなくて音だけが流れる「映画」。

シアター内を真っ暗にした完全暗転上映。
すごく楽しみにしていたのに、どうやら私は暗闇を舐めていたようだ。


座ったのは、一番前の奥の席。
はじめの10分間は、薄明かりの中で音や声が流れる。
金属のボウルのようなものを落とす音、低音の打楽器のような音。
そしてナレーターの女性がカウントダウンをして、あたりがぱっと真っ暗になった。

真っ暗といっても、正真正銘の真っ暗。
たとえば部屋のカーテンを閉めて電気を消して眠るときは、隙間からさしこむ月明かりや電化製品のランプのおかげで、時間がたてば周りのものが少しずつ見えてくるはず。

そんな日常で出会うような真っ暗な状態とは違って、本当に何も見えない闇の中に放り込まれた。
今いるところが広い場所なのか、狭い場所なのかもわからない。
時間がたっても、自分の手の形すら確認できない。
あたりをぐるりと見渡してみても、同じ深さの闇にただ囲まれているだけ。

神秘的なナレーションや、少し不気味な雰囲気をもつ音楽が、不安な気持ちを煽っていく。
でも仮に楽しげな音楽が流れていたとしても、同じだったかもしれない。

音が聞こえる以外は完全に「無」だった。
いま思えば、それは普段の自分が視覚に依存していることの証なのだけど、「無」の状態で自分を認識することが出来ずに、パニック状態に陥ってしまう。
深呼吸をして落ち着きを取り戻しても、すぐにまた波がやってくる。

怖くてたまらなくなり、隣にいるはずの彼氏の手を握ってみる。
そういえば以前、初めてスキューバダイビングをしたときにも、同じようなことがあった。
自分の呼吸の音しかしない海の中が怖くて取り乱し、インストラクターさんを困らせてしまうという迷惑な思い出。
そのときは彼氏と一緒に潜っていたので、だんだんとリラックスできるようになり、結果的にダイビングを楽しめた。

だから、今回も彼氏が隣にいてくれることが分かれば安心できるはずだった。
でも手の感触はあっても、姿が見えないから不安なまま。
結局、そのまま長時間とどまっていたら気が狂うような気がして、壁を伝って退出してしまった。
外に出やすい一番前の席ではなかったら、と考えるとぞっとする。
途中入退場は禁止だったのに、ごめんなさい。



想定外の暗闇恐怖症を発症してしまったせいで私は映画を楽しめなかったわけなのですが、とても惜しいことをしたなぁと思う。

真っ暗な闇の中で、どこからやってくるか分からない音が、不確かな自分ととけ合うような感覚。
きっと心地良い気持ちになれたはず。
私も他のお客さんと同じように感動したかった。

次回作がきたら、また観に行けたらいいな。
そのときは薄明かり上映の方を選ぶかもしれないけど、完全暗転のほうが感動もひとしおなのかもしれない。



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暗闇が怖いなんて本当はおかしなことなのかもね。
お母さんのお腹のなかにいた頃には光は見えなかっただろうし、私がいるこの宇宙の大半は暗闇で出来ているはずなのに。

もう少し自分を客観的に見てコントロール出来るようになれたらいいね、と言われた。

これほど視界に依存してしまっていた自分、不安な気持ちに簡単に支配されてしまう自分、不甲斐なく思います。

とにもかくにも、新体験でした。















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